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日常のトピ

たまにどヘタ漫画

「捨て曲」と「見せパン」

様々な話

 

私は音楽が大好きで、CD(だいたいアルバム)をよく買うのですが、その際に気になるのが「捨て曲の存在」です。よく、「捨て曲なしの名アルバム!」という惹句を目にするのですが、そもそも捨て曲なんていうものは収録しないのが当たり前であって、なぜそれをセールスポイントにしているのかがわかりません。

 

捨て曲というフレーズを目にするたびに、見せパンを連想します。捨て曲というのは「聞き流しても良い曲」であり、見せパンというのは「見られても良いパンツ」です。双方の共通点としては、「敷居が低い、言い訳がしやすい、ダメージが軽い」といったものがあります。要は、「まだ本気出してないから」というわけです。

 

「捨て曲なのにそんなに期待されても困る」「見せパンだから見られても構わない」という安全地帯から発せられるセリフを耳にするたびに、なにやら暗澹たる気持ちになります。捨て曲に対しては、「捨て曲だろうがリード曲だろうが、聴く側にとっては同じ一曲なんだよ!」という気持ちがあり、見せパンに対しては、「見せパンだろうが勝負パンツだろうが、見る側としては同じぐらい嬉しいからね!?」という気持ちがあります。

 

とくに、見せパンに関しては、並々ならぬ関心があります。近年では、見せパンだけではなく、見せブラなるものが幅を利かせています。私は、この一連の「見せ現象」を大変好ましく思っており、近い将来に、「見せ乳」や「見せ尻」が流行することを切に願っています。

 

これは捨て曲や見せパンに限った話ではありませんが、ここ数年の間、「留保する余地を積極的にこしらえる」という風潮が強くなっている気がします。もちろん、日本には古来から「へりくだる文化」が根付いているため、「つまらないものですが」に代表されるフレーズは日常の生活空間に溢れていました。

 

しかしながら、「つまらないものですが」というフレーズは、相手を立たせるための「上向きのフレーズ」である一方で、「捨て曲」や「見せパン」というフレーズは、相手を遠ざけるための「下向きのフレーズ」です。どちらのフレーズが身体に馴染みやすいかと言えば、明らかに前者です。捨て曲や見せパンといった「肌触りの悪いフレーズ」を耳にするびに、感情が少しずつ摩耗していく気がします。まぁ気のせいですけどね。

 

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