日常のトピ

たまにどヘタ漫画

『わたしが正義について語るなら』 やなせたかし

 

正義とはなにか。絶対的な正義なんてないし、正義はある日逆転する。正義のためには悪人がいなくちゃいけないし、悪人の中にも正義がある。正義を生きるのは大変だけれども、その中で僕たちが目指すべき正義とは―。私たちの絶対的なヒーロー「アンパンマン」の作者が作中に込めた正義への熱い思い!(「BOOK」データベースより)

 

本書は、作家のやなせたかしさんが思い描く正義について、様々な角度から考察を重ねたものです。重要なのは、「やなせたかしさんが思い描く正義」という点です。言わずもがなですが、「正義の形」は人によって大きく異なります。100人いれば100個の正義があるため、「100人一様の正義」というものは存在しません。正義について語るということは、人間について語るということなのです。

 

やなせたかしさんの原体験には、「深刻な飢え」があります。従軍経験を持つやなせさんが最も苦しかったのは、野戦鉄砲隊における重労働ではなく、「耐えがたいほどの空腹」だったそうです。本書の中には、「飢えがどのくらい辛いかなんて、十日くらい食べないでいればすぐに分かります」という文章があります。この文章を目にしたとき、文字通り、全身が総毛立ちました。「生命の底」に長く沈んだことのあるやなせさんだからこそ、アンパンマンという作品を生み出すことができたのだと思います。

 

また、やなせさんがアンパンマンの絵本で描きたかったのは、「顔を食べさせて顔がなくなってしまったアンパンマンが空を飛ぶところ」だそうです。以下、引用します。

「顔がないということは、無名ということです。顔パスという言葉がありますね。この世界は顔で通用するところがあります。政治家もそうだし、タレントもそう。自分の顔を売って、それで生活するところがあります。顔売り商売ですから、プライバシーがないと騒ぐのは間違っている。顔を売った以上はプライバシーを失います。覚悟しなくてはいけません。普通の人は無名です。顔は知られていません。顔がなくなってしまったアンパンマンは、エネルギーを失って失速します。ぼくはこの部分が描きたかったのです」

アンパンマンは、顔の一部を分け与えることによって、私人(私パン)から公人(公パン)になるということです。アンパンマンのこのような行動を目の当たりにするにつれて、「分け与えるとはどういうことか」を考えざるを得ません。

 

いくらアンパンマンが正義の味方だといっても、全ての困っている人を救済することは不可能です。アンパンマンが救済できるのは「身の回りの人」や「たまたま会った人」だけです。人を助けようとすれば、「自分の限界」を否応なしに突きつけられることになります。自分の正義と向き合うということは、自分の限界性や有限性と向き合うということです。「実寸大の自分」を突きつけられることは、誰にとっても愉快なことではないでしょう。しかしながら、実寸大の自分を把握していなければ、「自分の領域」を理解することはできません。そして、自分の領域を理解していなければ、「他人の領域」を尊重することもできません。

 

「正義の味方」というと、なにやら格好良く感じます。ですが、それを実践するためには、「チリチリとした痛み」や「モヤモヤとした気持ち」というようなネガティブな感情を積極的に引き受ける必要があります。「良いところだけを取ろうとする人」は、正義の味方にはなれません。正義の味方になる資格があるのは、「悪いところに積極的に目を向けて、心身の一部を差し出せる気概がある人」だけです。アンパンマンは、文字通り、身を挺して、「正義の味方という生き方」を実践しているのです。

 

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